前回は「加治木島津屋形跡」と「加治木西南戦争記念碑」を巡りました。

今回は島津義弘公を祭る「精矛神社」を訪れます。
精矛神社は、加治木島津屋形跡から16分、約1.2kmの距離にあります。
精矛神社(くわしほこじんじゃ)
神社入口です。人はいませんでした。

島津義弘公を祭っている旨の解説があります。

もとは、前回訪れた島津屋形内にあったようです。
大正七年に義弘公没後300年祭の記念事業としてこの場所に遷座されたとのことです。
↓「朝鮮伝来の手洗鉢と石臼」と書かれてあります。
これは後ほど見に行きます。

11月29日に訪れましたが、紅葉がきれいでした。


↓大河ドラマ「西郷どん」の撮影でも使われたようです。

↓本堂が見えてきました。



灯りがともっていましたが、人の気配はありませんでした。
↓こちらが本殿です。


島津家の家紋があります。
当たり前と言ったら当たり前なのですが、
地元ではない人間からすると、島津家の家紋を見ると「おおお!」という高揚感があります。



振り返ると、夕暮れが近づいています。

↓本殿のすぐ隣に、境内入口に案内のあった「朝鮮から持ち帰った石臼・手洗鉢」がありました。

豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、戦で物資が消費され軽くなった帰りの舟の重しとして、使用されたようです。

450年前の「文禄の役」の遺物に直接手で触れることができます。
↓こちらは「経典読誦塔」(きょうてんどくじゅとう)
朝鮮に赴く将兵の武運長久を祈って作成されたもののようです。

↓「祖霊殿」
加治木島津家代々の先祖が祭られています。

↓「義弘公ゆかりの小径」

義弘公にまつわるあれこれを学べる小道になっています。
茶器供養碑

義弘公は、茶道を千利休に師事するほど正統派の茶人だったようです。
龍門寺焼

朝鮮出兵の際に連れ帰った陶工により陶器造りが行われたようです。
猫塚

朝鮮出兵の際に7匹の猫を連れていき、各部隊に配置されたようです。
2匹が生還したとのこと。
猫の瞳孔の開き具合を見て、時刻を推測していたようです。
クモ合戦

朝鮮出兵の際に、兵士の士気を高めるために、コガネグモのメス同士を戦わせたのが始まりのようです。
「へぇ~」と思いながら空を見上げたらクモがいました。
これはコガネグモでしょうか?

灰汁(あく)巻き・ハチミツ

「灰汁巻き」は保存食として、関ケ原の戦いでも持って行ったそうです。
朝鮮出兵の際に、蜂飼を朝鮮から連れて帰ってきて、ハチミツ作りが広まったそうです。
欄干橋(らんかんばし)
別名「擬宝珠橋」。前回の「加治木屋形」で見たものです。

加治木まんじゅう

上記の「欄干橋」を作る際に、職人たちの休憩時に出されたのが始まりのようです。
経緯を知ったうえで、食べると背景も含めて楽しめそうです。
正一位精矛渋谷稲荷神社(しょういちい くわしほこ しぶやいなり)
精矛神社の境内に正一位精矛渋谷稲荷神社があります。

島津義弘公が「肌守り」として携えていたと伝わる稲荷神を祀る神社です。

文禄・慶長の役(朝鮮出兵)にも携行されたと伝わり、その後は兵庫・湊の畠山家、東京の島津家へと受け継がれました。

そして2019年(令和元年)、島津義弘没後400年を機に、東京・渋谷の玉里島津家から鹿児島の精矛神社へ遷座。長い年月を経て、義弘を祀る神社へ戻ってきました。

↓ここにもクモがいました。

月が出てきました。

私が訪れた時間帯は人がいなかったので、島津義弘公と1対1で向かい合って、朝鮮出兵や関ケ原の戦いについて、当時を偲ぶことができた気がしました。

関ケ原は何度も訪れているのですが、あの地からこの鹿児島まで、はるばる戻ってきた義弘公の気持ちを考えると、晩年はふるさとでゆっくりと過ごしたのだろうな、という気持ちになりました。

夕焼けがきれいです。

↓加治木駅に戻ってきました。

アクセス
精矛神社
- 所在地:〒899-5204 鹿児島県姶良市加治木町日木山311
次回訪問場所
次回は西南戦争の史跡「官軍戦没者慰霊塔」を巡ります。
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事前に読んだ本
今回旅に向けて読んだ本はこちらです。
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