2025年8月下旬。富士山下山中に滑落し、顔面を骨折しました。
前回は剣ヶ峰までの経過を記載しました。

実際に事故で何があったのか、詳細を記載します。
12:00頃
剣ヶ峰での記念撮影を終え、馬の瀬に差し掛かりました。
馬の瀬とは、剣ヶ峰へ向かう際に通る急こう配の坂です。
本来であればお鉢巡りを時計回りにまわるべきでしたが、私は反時計回りで回ってしまいました。
その結果、馬の瀬を下ることになったのです。
そして、馬の瀬を下っている際に、滑り、転倒し、怪我をしました。
馬の瀬は、Google earthで見るとこんな感じです。↓
頂上の観測施設から右に伸びている白い坂道が馬の瀬です。

違う角度から。

グーグルのストリートビューでも見てみます。

下っている人もいますが、お鉢巡りを時計回りで進み、馬の瀬は登る方が推奨されています。
ちょうど、手前の登山者の右横に広がっている白っぽくなって見える地面の箇所は、砂が少なく、滑りやすく、ここで滑って転倒しました。

↓上から見るとこんな感じです。

写真では、人が少なく、手すりが空いていますが、私の時は登山者が多く、登りの人で手すりが埋め尽くされており、手すりを使っての下山ができませんでした。
転倒までの状況
私を含めて、3人が下っていました(知人+別の登山者)。
先頭の登山者(女性)がまず、滑りました。
その直後、2番目の知人が足を滑らせました。
瞬間に「危険だ!」と察知したものの、気が付いた時には私も転倒していました。
進行方向に向かって前を向いて進んでいましたが、滑った勢いが強すぎて、身体が横に半回転して、顔面から落ちました。
また、平地の地面であれば転倒するまでに受け身をとる時間がわずかでもありますが、ここは急斜面で地面との距離が近いので、滑った瞬間には顔面を打っていた、という感覚です。
そのまま、顔面から落ちた私は、滑りだし、2~3mほど滑り続けました。
とっさに手でブレーキをかけたようで、気が付いた時には、両手の指の爪がそれぞれ1/3ほどすり減っていました。
身体が反射的に爪をたてて、滑り続けるのをなんとか抑えようとしていたようです。
私の顔、どうなってます?
思いっきり、強烈なドッヂボールが顔面にあたったときのように、しばらくフワフワしていましたが、正気に戻ったときには、異変に気が付きました。
まず、目の焦点が合わないのです。
そして自分から見て、鼻の右半分から右目の下にかけて、全く感覚がありません。
触っても全くわからないのです。
そのため、自分の顔がどういう状況なのか、判断つきませんでした。
手のひらは血だらけで、これは大変なことになった、とその時ようやくわかったのです。
「私の顔どうなってますか?」恐る恐る知人に聞きました。
ちなみに、上記のとおり、知人は私の前を歩いており、私が滑る直前に知人も滑っていたため、私が転倒した場面を知人は見ていません。
「少し血が出ているようです」そういわれ、外傷はそこまでひどくないことがわかり、安堵しました。
この時はわかりませんでしたが、実は顔面が4か所骨折しています。
馬の瀬からの脱出
馬の瀬ほぼ頂上近くでの転倒そして滑りだったため、まずは安全に降りる必要がありました。
その時、たまたま手すりが空いていたため、手すりを使って、ゆっくりおりました。
目の焦点が合わないため、かなり危険でした。
後で知ったことですが、この馬の瀬は約30度の急傾斜で、「浮石」が多く、転倒すると火口まで滑り落ちる恐れのある危険な場所だったようです。
症状が出始める
私が転倒するシーンを見ていない知人はまさか私が骨折しているとは夢にも思わず、そして、外見上は血はついているものの、そこまでひどい状況ではなかったため、休憩してから下山することにしました。
ただ、私の中で異変は次々に出てきます。
まず、眠いのです。
頭を打って、眠い。これは相当ヤバい状況だとどこかで聞いた覚えがあり、この時私は脳出血を疑いました。
そして、軽食を取ろうとしたのですが、顎が痛くて、口が開かない、かつ噛めなかったのです。
そして何より気分が悪くなってきて、ごはんを食べるどころではありませんでした。
冷静に考えると、救護室に行って、場合によってはドクターヘリを呼んでもらうべきシーンでした。しかし、顔面を強打して気分が悪く、それを考えている余裕もなく、冷静な判断ができませんでした。
下山開始
とにもかくも、早く下山して病院に行かなければ、、。
この気持ちだけで下山を開始しました。
頂上での怪我だったため、5合目まではかなりの距離があります。
正直、終始気分が悪く、しんど過ぎました。
先のことを考えると気が遠くなるので、1歩1歩のことしか考えないようにしました。

下りも険しい道が続きます。
二度の転倒は絶対にできない。この緊張感の中で、一歩一歩本当に気を付けながら歩きました。

これら下山中の写真は知人が撮ってくれていたものです。
本来であれば大砂走りや、宝永火口を楽しみながら下山できていたはずですが、その余裕は全くありませんでした。
そして、2つ、身体に異変が出てきました。
1つは、極度の「シャリバテ」です。
シャリバテとは、エネルギー(糖質)が枯渇し、極度の疲労や動けなくなる状態のことです。
低血糖やハンガーノックを指します。
転倒をしてから、急に気分が悪くなり、このシャリバテが始まりました。
水分や食料補給をしたのですが、全然おさまりません。
辛くて泣きそうなところを我慢して歩き続けました。
そして、相変わらず目の焦点は合いません。
異変2つ目は、下り坂より登り坂の方が楽という現象です。
下り坂は本当にしんどくてしんどくて、しかも顔面もだんだん痛みが増してきてきつく、歩くスピードが極端に遅かったのですが、時折ある登坂になると、気分が回復し、歩くスピードも元に戻るという現象が起きました。
おそらく、下り坂と登り坂での姿勢の違いが原因だったのではないかと思います。
6合目到着
本当に死ぬ思いで戻ってきました。
登りの時に通過した6合目が見えた時には、「あぁやっとここまで帰ってこれた」という安堵感でいっぱいでした。
段々重くなる鈍い痛みと極度のシャリバテの中、下山開始時は先が長すぎて心が折れそうでしたが、何とか戻ってこれました。
5合目到着
そして、5合目に到着しました。
バスに乗車して水ヶ塚駐車場まで戻ります。
バスの揺れが顔面に響きました。
この時、私は脳出血を疑っていたので、「場合によってはスマホに遺書を書かないといけないな」思っていました。
いつ意識が途切れてもおかしくないと思っていました。
12時頃に下山を開始して、3時間40分かけて下山しました。

救急搬送
下山した際の症状は下記のとおりです。
- 目の焦点が合わない。
- 顔右半分の感覚がない
- 目立つ外傷はそこまでない
- ほぼすべての手の指の爪が1/3ほどすり減っている
外傷がそこまでひどくなく、また救急車を自分のために要請したことがなかったことから、本当に救急車を呼んでいいのだろうか、と悩み、とりあえず7119に電話をしました。
7119は救急安心センターにつながり、救急車を呼ぶべきかどうかの相談ができます。
症状を伝えたところ、今すぐ呼んでくださいとのことでしたので、救急車を呼びました。
救急車が到着した後、自分で歩いて救急車に乗ったので、なんだか大したことない怪我で救急車を呼んでしまった気分になり、申し訳ない気持ちでした。
今思えばすぐに呼ぶべきでした。
水ヶ塚駐車場から沼津市の病院まで約40km、高速道路を使って搬送していただきました。
救急隊の方には感謝しかありません。
そこから沼津市の脳神経外科病院に搬送されてCTなどの検査を受けました。

検査結果
恐れていた脳へのダメージはありませんでした。
しかし、顔面が4か所ほど+細かい箇所は何か所かが折れていました。
手術の必要があるとの診断でした。
先生からは「頂上から自力で降りてきたんですか??」と驚かれました。
なぜドクターヘリを呼ばなかったのか、と言われました。
救急車を呼ぶのでさえ躊躇するくらいだったので、ドクターヘリを呼ぶというのは想定外でした。
(そしてYahoo!ニュースに掲載されて非難を浴びるところまでが頭に浮かびました)
この診断を聞いた時、まさか骨折しているとは思わず、明日から仕事をどうしようというのがまず頭に浮かんだことです。
目の焦点が合わないのは、目の裏にある骨が骨折して剥離し、それが飛び出して眼球を後ろから圧迫したため、目が少し飛び出たからでした。
食べるときに顎が痛かったのは、顎の付け根の骨が折れていたからでした。
顔面半分の感覚がなかったのは、頬骨に神経を通している穴があるのですが、その穴を起点に、頬骨がぱっくり割れていたため、神経も一緒に切れてしまったためでした。
手術は東京の病院で受けることになりました。
その日は、病院で、すり減った爪の奥に入り込んだ砂を取る作業をして、ホテルに戻りました。
痛み止め等の処方はなかったため、その日の夜はタオルを濡らして顔に浸して寝ました。
段々と顔が腫れ上がってきて、痛みも増してきました。
下山中は、歩くのに必死で気が付きませんでしたが、落ち着くと痛みがだんだんでてきました。
事故翌日
翌日、ホテルの地元新聞に馬の瀬の写真がありました。

紹介してもらった東京の病院は土日は受けれていないため、2日後の月曜に診てもらうことになり、おとなしく家に帰ることにしました。
途中で富士山本宮浅間大社にだけ寄りました。
富士山の頂上にあるのが奥宮で、こちらが本宮です。
大けがはしたものの、一歩間違えればもっと大事故になっていたかもしれません。
無事に下山できたことを感謝しました。

空は晴れています。顔もかなり腫れています。

観光をしている場合ではないので、お参りだけして帰ります。



元気な時にもう一度訪れたいです。(富士山に登るかはちょっと)

お腹が空いたので、せっかく富士宮まできたということで、富士宮焼きそば。

痛くて口が開きませんでした。
無事な方の左でなんとか食べました。
入院と手術
翌9月1日に東京の大学病院で検査を行いました。
9月4日に診察し、9月11日の全身麻酔での手術が決まりました。
入院は9月15日までとなりました。
手術は、顔面の骨をもとに戻して3か所プレートを入れて固定するというものです。
全身麻酔は点滴から入れるのですが、視界の周辺からフワフワと意識がもうろうになってきました。
お酒で飲みすぎて酔っ払ったときに、意識が飛ぶ寸前の感覚に似ていました。
眠りに落ちる前の私の最後のセリフは「尿道のチューブだけは勘弁してください、、」だそうです。
術後は、顔面がはれ上がり、本当に元に戻るのだろうかと心配しましたが、先生の腕がとてもよく、お見舞いに来てくれた人が傷口がわからないくらい上手にしてくださいました。
術後、麻酔が引いたあとは、痛みがきつく、当日の夜は眠れませんでした。
経過
顔面の神経が戻るかどうかはわからないということでした。
不思議なのは、触っても感覚がないのに鼻がかゆくてかゆくて仕方ないことです。
しかも、かゆいのにかけないという強烈なストレスがかかります。
今思うと、神経が修復している最中だったのかもしれません。
1,2か月たつ頃、だんだんと、触ったときの感触がわかるようになっていました。
神経が修復してくれていたのです。嬉しかったです。そして安堵しました。
自分の顔半分の感覚がないと、本当に気が散るというか、常に違和感があり、気持ち悪かったです。
現在は、ほぼ完全に感覚が戻りました。
目の焦点が合わない問題は、早めの段階で戻りました。
おそらくこれは、脳が両目の画像のズレを修正してくれていたのも大きいと思います。
術後はほとんど気にならなくなりました。
顔面に入ったプレートは溶けるタイプのプレートなので、取り出すために再度手術を受ける必要はありません。
ただし、まれに溶け残ってしまったりすると、取り出す必要があるようです。
振り返り
全てのきっかけは、お鉢巡りを反時計回りに回ったことでした。
馬の瀬は下ってはいけません。
もし、下るときは必ず手すりを持って歩かないといけません。
後で聞いた話だと、同じ日に外国人の男性が10mほど、滑っていたようです。
そして、人間というのは豆腐みたいにやわな生き物だなとつくづく思い知らされました。
簡単に大けがをしてしまいます。
なんとなく、自分だけは安全と思ってしまうのが人間ですが、振り返ってみれば、大けがのその運命の瞬間に向かって、刻一刻と時計の針は進んでいたのです。
逆に言うと、これからまだ見ぬ将来の大惨事に、今も刻一刻と進んでいるのかもしれません。
しかし、それは決定論ではなく、ある程度は努力で回避できるものと思いたいです。
そして、死は間違いなく刻一刻と迫っていることは確かです。
大袈裟かもしれませんが、この事故を経て、そのようなことを自分事として考えるようになりました。
幸運
下山した後に訪れた浅間大社でおみくじを引きました。

実は、普段私は眼鏡をかけており、富士山登山も眼鏡で行く予定でした。
しかし当日の朝になって、なんとなく「やっぱり今日はコンタクトで行こう」と思い立ち、久しぶりにワンデーのコンタクトをつけて富士山に向かったのです。
もし、眼鏡のまま登っていたら、おそらく、転倒して顔面から落ちた際に、失明していたと思います。
眼鏡で来なくて本当に良かった。
ほんの少しの違いで結果が大きく左右される出来事でした。
この幸運に感謝しました。
9月15日に退院し、2週間、自宅療養しました。
9月29日に職場に復帰をしました。
そして約半月後の10月16日に事故前に申し込んでいた東京レガシーハーフマラソンに出場しました。
9月18日に抜糸してもらった際に、来月のハーフマラソンに出場していいかを先生に聞いた時、看護師さんは少しあきれたようでした。
登山は全くなめていませんでしたが、危険と隣合わせの活動だと改めて思い知りました。
でも、頂上でみた景色は忘れられません。
私が富士山にリベンジするときは来るのか、これを考えるのにはもう少し時間がかかりそうです。
皆さんも怪我には十分気を付けてください。
ちなみに、自宅療養後、半月で出場したハーフマラソンはこちらです↓

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