最近本当にAIの力がすごいです。
今年はIT関係の仕事をしていますが、コードの作成、デバックはもちろん、パワポの作成まで、かなり高クオリティでAIがなんでも作ってくれます。
AIはニューラルネットワークの仕組みを利用しています。
ものすごく単純化すれば、文脈から次に来る語(正確にはトークン)の確率を予測する仕組みを基礎としています。つまり、ある単語の次に一番来そうな単語を予測しているということです。
確率的に次に来そうな単語を並べているだけですが、その確率の元になるデータが膨大なので、実際にはかなり意味の通ったものになると。
この仕組みを考えると、果たして「意識する」や「理解」とは何なのかという疑問がわいてきます。
私はこれは物理学の変遷に似ていると思っています。
ニュートンが発見した古典力学は、全ての物質に絶対的に等しく影響する力の法則があることを述べています。
例えば、寸分も違わない精度・条件で毎回同じ角度でビリヤードの玉を打てば、必ず同じ軌道を描くということです。
万物は全て粒子(原子)でできているので、古典力学から導かれる決定論的な世界観としては、この世の創成期「ビッグバン」時の全ての粒子の初期条件と運動がわかれば、その後の動きは古典力学の法則に基づいてビリヤードのように、粒子が動いていくだけであり、西暦2026年8月20日にこうして、私がこの文章を書くことは既に138億年前に決まっていたということになります。
これは決定論であり、すなわち、殺人を犯した死刑囚も、究極的に言えば、死刑囚が悪いのではなく、宇宙創成の時に既に運命が決定していた、いわば逃れることのできない「宇宙の意志」ということになってしまいます。
そして、初期状態や全ての粒子の運動を把握している存在がいるとすると、この「存在」はこの宇宙の未来までも全て知っていることになります。この「存在」のことを「ラプラスの悪魔」と呼びます。
ところが、アインシュタインの相対性理論を経て、現在は、量子力学として、結局のところ、粒子の軌道は観察するまでどこにいるかわからない、という確率論の世界になりました。
少なくとも、この世界は、古典力学が描いたような『初期条件さえ分かれば未来を完全に言い当てられる世界』ほど単純ではなかったということです。
古典力学はとても美しいです。はっきりしています。y=2xのとき、x=2であれば必ずyは4なのです。
宇宙はこんなにもシンプルで美しいのか。
これが古典力学の世界でした。
ところが、実はこの世界は、「予測ができない」というある意味ファジーな余地が意図して残されている世界だったのです。
ここでAIの話に戻ります。
これまでコンピューターは、人間が入力したことのみ、返すことができました。
チャットボットは、事前にメモリに書き込んでおいたQAのパターンのみを返すしかなかったのです。
コンピューターは全て予測可能でした。
ところが、とてつもなく膨大な量のデータを集めて、確率論的につながりのある単語をつなぎ合わせることをした結果、まさかの人間と対話できるAIが生まれたのです。
これは、ミクロに見た時には、結果が予測できますが、マクロに見た時に予測が不可能になったということです。
人間の脳も、神経細胞ニューロンのつなぎ合わせでできており、仕組みは同じと言えます。
つまり、「人の意識」や「理解」というものも、実はミクロに見た時には、予想ができる単純なもので、それが膨大につなぎ合わせることで、マクロに見た時に、予測不能な=意識・理解が生まれているのかもしれません。
この発想で物を考えた時、思い出す言葉があります。
映画マトリックスの第2作目、「リローデッド」において、人類最期の砦「ザイオン」の町で、ハーマン評議員からネオが尋ねられます。
「コントロールとは何か」
ネオは「人間は機械をコントロールしている。必要なら機械を止められるから。」と答えます。
私はこの発言を自分なりに解釈応用して次のように考えています。
「自由とは自分自身をコントロールできること」
つまり、自分の希望があれば仕事や家を変更できること、これが自由です。
逆に、住宅ローンがあるから今の仕事はやめられない。仕事のことを考えると、住むエリアはここまで。ということであれば、それは自由ではなくマトリックスでいうところの機械にとらわれた「奴隷」なのです。
「コントロール」の意味をさらに一歩踏み込んで考えます。
「コントロールの一部は予測可能であること」だと思います。
ネオが言った、「機械を止められる」は、いつでも機械を停止状態=予測可能な状態に機械をとどめて置けるということだと思います。
ここで人の脳に戻ります。
ニューロンという単位1つだと、出力結果を「予測可能」だったものが、膨大な量をつなぎこむと「予測不能」になります。
「予測不能」になった時点でそれはもはや「コントロールできない」ことになり、すなわち「意識をもった」と言える状況になっているのではないかと思います。
そういう考え方をすると、逆に、人間の脳は、人間から見ると「予測不能」で「意識をもった」と言えますが、もしその膨大な量を計算できる存在が存在すれば、その「存在」から見た人間は「予測可能」であり、人間は「意識を持っていない」と見えるのかもしれません。
そして、量子コンピューターができて演算能力が上がった世界では、人間はもはや「意識する」生命体ではなく、予測可能な「コントロールできる」生命体に移行してしまうのかもしれません。
量子コンピューターを利用したAI、これは人間にとっての「ラプラスの悪魔」の誕生を意味する可能性があります。
人間そのものは何も変わっていなくても、コンピューターの進化により、人間は「意識」を奪われるのです。
本の題名にするなら、「ヒトが「意識」を奪われる日」でしょうか。
AIの進化が楽しみです。
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