「鳥羽伏見の戦い」を巡る旅 第4弾|

歴史ログ

今回から鳥羽を離れて伏見の史跡を巡ります。

伏見には龍馬関係の史跡もあるので、そちらもめぐります。

薩摩島津伏見屋敷跡

龍馬が寺田屋で襲撃された後にかくまわれた薩摩藩邸です。

薩摩島津伏見屋敷跡

現在は酒造会社の敷地裏あります。

石碑

側面に龍馬の寺田屋襲撃の際の避難地であったことが書かれています。

目の前には濠川(ほりかわ)が流れています。

大黒寺

薩摩藩の伏見屋敷跡から徒歩5分くらい歩くと到着します。

ここは寺田屋事件で亡くなった薩摩藩士たちが眠っています。

大黒寺

正門は閉まっており、横の保育園の門が開いてました。

入ってよいのかわかりませんでしたが、参拝の方も通っていたので入らせてもらいました。

石碑

入って左手に石碑が並んでいます。「宝暦の治水」の工事に関わって亡くなった方を顕彰しているようです。鹿児島城の近くにも「薩摩義士の墓」があります。

寺の境内を進んでいくとお目当てのお墓がありました。

有馬新七

寺田屋事件で亡くなった薩摩藩士、有馬新七らの墓です。
このお墓は西郷隆盛が建てたようです。

有馬新七の墓

お墓の横には西郷隆盛の直筆であると書かれています。

石碑

寺を後にします。

大黒寺

坂本龍馬 避難の材木小屋跡

坂本龍馬が寺田屋で襲撃されて(上の寺田屋事件とは別)、命からがら材木小屋にたどり着き、身を潜めた場所です。

「龍馬がゆく」では、たしか小屋の屋根に上っていた記憶があります。
両手の親指を負傷しました。

この時の傷をいやすために後に鹿児島にお龍さんと新婚旅行に行ったときに湯治します。

避難の材木小屋跡

今は駐車場になっています。

遠景

遠景はこんな感じ。

濠川

寺田屋はこの写真の右奥方向なので、龍馬はもしかしたらこの道の向かい側から走ってきたのかもしれません。

鳥居

反対側の欄干には小さな鳥居がありました。

川からの眺め

川からの眺めです。

次の目的地の「伏見口の戦い激戦地跡(京橋)」に向かう途中に大きなかまどがありました。

かまど

なにか歴史があるのでしょうか。給食の鍋でしょうか?

~旅は続く~

ひとこと

歩いてみるとわかるが、伏見は歩いていける範囲にたくさんの幕末の歴史的舞台が点在している。

現在は、跡地であることがわかるだけの場所も多いが、それでも往年を偲ぶには十分です。

今回の材木小屋、次回の寺田屋、など実際に龍馬が走ったであろう距離を徒歩で歩くと、目で見る+距離感という新しい次元が加わることで、当時の状況を想像することができます。

怪我を負いながら、汗を垂らして走る龍馬の姿が目の前に浮かぶようでした。

アクセス

薩摩島津伏見屋敷跡

  • 所在地:〒612-8066 京都府京都市伏見区東堺町612 8066

大黒寺

  • 所在地:〒612-8062 京都府京都市伏見区鷹匠町4

坂本龍馬 避難の材木小屋跡

  • 所在地:〒612-8202 京都府京都市伏見区過書町497−2

次回訪問場所

次回は「寺田屋」や「伏見口の戦い激戦地跡」をアップします。

Instagram連動

訪問の様子はInstagramにも投稿しています📷

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