前回は寺田屋などを巡りました。
寺田屋から御香宮神社方面に歩きます。
途中に「竜馬通り商店街」がありました。

今回は人も少なく時間が足りなかったので次回はゆっくり探索したいです。

伏見は当時の風情が残っているような風景で歩いているだけで楽しいです。

酒屋が多いイメージです。
伏見土佐藩邸跡

以下は石碑内容の要約です。
鳥羽・伏見の戦いでは、土佐藩は当初、藩主・山内容堂が「薩摩・長州と会津・桑名の私闘である」として参戦を禁じていました。
しかし、藩大目付の板垣退助は密かに「戦いが始まれば薩摩藩と行動を共にせよ」と指示。一部の藩士は藩命に背いて新政府軍として戦い、勝利に貢献しました。
その結果、土佐藩は朝廷から「復古討賊に大功あり」と高く評価されることになりました。

次の目的地に向かう途中の街中の建築物も趣があってみていて面白いです。

会津藩駐屯地跡(伏見別院)


碑文要約。
鳥羽伏見の戦いでは、会津藩(幕府側)の先鋒隊約200名が伏見京橋に上陸した後、この地を宿陣としました。
薩摩藩との間で小競り合いの中、午後4時頃、鳥羽方面から聞こえる一発の砲声に触発され、御香宮の東の高台に据えた薩摩藩の大砲が火を噴き、伏見奉行所を攻撃したことから伏見の町でも戦いが始まりました。本堂の畳を楯に鉄砲の撃ち合いがあったともいわれ、建物は大きな損害を受けたと伝えられています。
畳を盾に戦ったという記述は紹介した本にも出てきます。
慶応4(1868)の12月、ここから会津藩兵が声をあげながら飛び出していく姿が目に浮かびます。

この鐘は1645年鋳造で、鳥羽伏見の戦いを生き残り、現存するものです。
伏見の街に響いていたこの鐘の声を龍馬もきっときいていたでしょう。

伏見別院です。

伏見口の戦い激戦地跡

鳥羽伏見の戦いでは、前日夕刻に会津藩の先鋒隊約200名が大坂から船でこの京橋から上陸しました。


解説板によると、伏見奉行所に陣を置いた幕府軍や新選組が民家に火を放ちながら淀方面へ敗走したため、このあたりの多くの民家が焼かれ、大きな被害が出たと記載があります。


向かいに「三十石船乗り場」が見えます。

夜は灯りがともり、幻想的な風景になりそうです。

向かいに「「龍馬とお龍 愛の旅路」像」が見えます。
龍馬さんとお龍さんがこちらを見ています。

かつてはここから、大阪との間で交易の品を積んだ船の往来が盛んにおこなわれていました。

次の目的地に向かいます。

ここにも趣のある建物がありました。
鳥羽伏見戦の弾痕

鳥羽伏見の戦いでできた弾痕です。



400年の時を超えて鳥羽伏見の戦いの痕跡を現在に伝えます。
アクセス
伏見土佐藩邸跡
- 所在地:〒612-8045 京都府京都市伏見区南浜町248−4
会津藩駐屯地跡(伏見別院)
- 所在地:〒612-8048 京都府京都市伏見区大阪町609
伏見口の戦い激戦地跡
- 所在地:〒612-8045 京都府京都市伏見区南浜町612 8045
鳥羽伏見戦の弾痕
- 所在地:〒612-8083 京都府京都市伏見区京町3丁目187
次回訪問場所
次回は「御香宮神社」「伏見奉行所跡」「旧伏見奉行所の石垣」「平戸橋」「肥後橋」を訪れます。
Instagram連動
訪問の様子はInstagramにも投稿しています📷

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