結局人生とは何のために生きているのか、まだ全然わからない。
少なくとも誰しもが「幸せ」な人生を望んでいることは確かだ。
「幸せ」という言葉の定義は難しい。
一体どういう状況が「幸せ」なのだろうか。
人間は元来社会を形成しないと生きることができなかった生き物だから、
社会の中での自分の立ち位置というものを気にするよう本能的にできている。
社会的貢献が「マズローの5大欲求」における最終到達点とも言われるが、
社会の中で生きるということは、好むと好まざるとに関わらず、他人との関係(比較)の中に生きることになる。
他人に認められたい。
同僚が新しいマンションを買ったようだ。
自分の妻の姉妹の旦那より年収は高いのか。
「他人と比較することはやめましょう」というありふれた陳腐なことは心に響かない。
生物である限り、比較というのは意識していなくても本能的に無意識化で起こってしまうものだと思っている。
しかし、「幸せ」は他人との比較の中に求めても終わりがないことは確かだ。
どういうことか。
世の中は「階層」の連続だ。
そして「階層」はずっと上に続いている。
例えば、私はタワーマンションに住みたいとする。
この場合、タワーマンションに住むことができれば私は「幸せ」になれるのだろうか。
仮に私が自分で会社を興して数年後、念願の56階建てタワーマンションの26階に引越ししたと仮定する。
今までの会社員時代の「階層」の中では「勝ち組」になれるだろう。
勝者としての優越感も味わえるかもしれない。
しかしそれもつかの間。
今度はタワーマンションの上の階のことが意識の中に入ってくる。
別に最上階に住みたいと強く思っているわけではなくても、だ。
私の「階層」は既に「タワーマンションに住んでいる住人」に移行したのだ。
私の思いとは関係なく、既にその「階層」の中での位置づけは勝手に行われている。
数年後、会社の事業規模が拡大し、最上階に住むことができるようになったとする。
最上階に引っ越せばそのタワーマンションという「階層」の中では「勝ち組」になれるだろう。
(これはたとえ話なので話をシンプルにしている)
しかしそれもつかの間。
今度は、タワーマンションを所有する経営者の集まりの中で、自分の会社よりも何倍も何十倍も稼いでいる会社の凄腕経営者と出会うことになる。
そして、上には上がいることを思い知らされる。
「階層」は既に「企業した経営者」に移行したのだ。
これはまるで数学的帰納法のようだ。
数学的帰納法は、簡単に言うと、1つ目が倒れる、2つ目が倒れる…と連鎖していくのであれば、無限に続くドミノはすべて倒れるという話だ。
別に厳密な議論をしたいわけではない。上の例もあくまでもたとえ話だ。
でも、「階層」の中で欲しいものを求めても、終わりがないという話に見えてしまう。
ありがちな話に「物質に幸せを求めても幸せになれない」があるが、私はそうは思わない。
「欲しいもの」の求め方を変えればよいのだと思う。
簡単に言うと、自分の心が「本当に欲しいもの」を手に入れれば「幸せ」になれると思う。
「本当に欲しいもの」はどうやって見分けるのか。
私が実践しているのは、
「この世の中に自分ひとりだけが残されたとしても、それでもまだそれが欲しいか」
と自問することである。
ブランド物のバッグが欲しいとする。
もし、世の中に自分一人だけだったとしても、それでもまだそのバッグが欲しいだろうか。
別にほしくないと思うのなら、その「欲しい」は結局、「階層」の中での比較に「幸せ」を求めているだけかもしれない。
反対に、それでも欲しいと思えるなら、そのバッグは、自分の美的センスを満足させるものなのかもしれない。
タワーマンションの話も、世の中に自分一人だったとしても住みたいと思うかどうか。
それでも住みたいと思うのなら、高いところからの開放的な眺めが好きなのかもしれない。
この場合は、タワーマンションの低層階に住むことは「本当に欲しいもの」ではないと言える。
このように、世の中に自分一人だけだったとしても「欲しい」と思えるなら、
それは例え物質に「幸せ」を求めても満足できると思う。
なぜならば、その「欲しい」は他人との関係を起点にしているのではなく、
自分自身の心が起点になっている「幸せ」だから。
結局、物質に「幸せ」を求めても限りがないのではなく、
他人との比較の中に「幸せ」を求めても限りがないということだと思う。
そして、「世の中に自分一人だけだったとしても」は、モノ以外にも応用できる。
自分の進路、自分の趣味、勉強しようとしていることなど。
この場合には、
「既に1000億円の資産があったとしても、その行動はしたいか?」
と自問することにしている。
これでYesと自分に答えられるのであれば、それは自分の心が起点になっている「すべき行動」。
Noだったら、もしかしたらその行動の目的は自分の本心から出たものではなく、単に「お金になりそうだから」など、外部との関係が起点になっているかもしれない。
例えお金になりそうになくても、自分がワクワクすることであれば、他人になんと言われようとやればいいと思う。
自分の進路や、やりたいこと、欲しいもの、「幸せ」を考えるときに自問したい。
「この世の中に自分ひとりだけが残されたとしても、それでもまだそれが欲しいか」
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