坂本龍馬ゆかりの酢屋を訪ねて――その面影が今も息づく町屋

龍馬をめぐる旅
酢屋正面

司馬遼太郎の『龍馬がゆく』を読んでからというもの、坂本龍馬の足跡を実際にたどりたくなり、今回も京都へと一人旅に出ました。

シリーズ第2弾は、坂本龍馬が実際に住み、海援隊の拠点ともなった場所――「酢屋」です。


龍馬が過ごした町家「酢屋」

酢屋は、京都・三条通に面した木造町家で、現在まで続く材木商さんです。

坂本龍馬はここに滞在し、あの有名な「船中八策」や「大政奉還の建白書」といった重要な構想を、この酢屋の2階で考えたと言われています。

建物は現存しており、現在2階部分が「ギャラリー龍馬」として公開されています。

館内での撮影や筆記などは禁止されています

酢屋正面

館内は静けさと温かさに包まれて

私が訪れたのは週末でしたが、たまたまギャラリーには自分ひとりだけ。
観光地・京都の中心とは思えないほどの静けさで、まるで時間が止まったかのような空間でした。

お店の方がとても親切で、2階まで案内して説明してくださったうえ、お茶まで出してくださいました。
温かなおもてなしに、胸がじんわりと温かくなりました。

入館時に、説明資料と高瀬川畔の史跡案内図を頂きました。

頂いた資料

龍馬が見たであろう景色

2階の窓からは、当時、高瀬川が見下せたそうです。2階の構造や天井は当時のままですので、龍馬もこの窓から通りの高瀬川を眺めていたようです。

ここに座って、何を思い描いていたのでしょうか。

部屋には海援隊の資料や当時の生活道具などが展示されており、龍馬の息遣いが感じられる場所でした。


龍馬の言葉とともに

龍馬の辞世の句は残されていませんが、彼の理想を象徴する有名な言葉があります。

日本を今一度せんたくいたし申候もうしそうろう
― 坂本龍馬、姉・乙女への手紙より

この言葉には、幕末の混乱を一度リセットし、まったく新しい日本をつくろうとした龍馬の強い意志が表れています。

酢屋の2階から高瀬川を眺めながら、この言葉を胸に未来を描いていたのかもしれません。


感想

観光地としてではなく、“龍馬の生活空間”としての酢屋。

町家に吹き抜ける風、間取り、天井――その一つひとつが、龍馬の生きていた時間を思わせてくれます。

ここに来なければ感じられなかったものが、確かにありました。


次回訪問予定

次回は、龍馬の暗殺事件を描いた池田屋事件跡を訪ねたいと思います。

歴史の表と裏が交差した場所、その空気を感じてきます。


Instagram連動

今回の酢屋訪問の様子はInstagramにも投稿しています📷
Instagramで見る(@kuro_nokami25)


アクセス情報

酢屋(坂本龍馬寓居跡)
所在地:京都府京都市中京区大黒町47
最寄駅: 阪急京都本線「京都河原町駅」より徒歩8分

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