大阪・中之島。
淀屋橋から堂島川に沿って歩くと、近代的なオフィスビルが立ち並ぶ都会的な景観の中に、幕末の歴史を秘めた一角があります。
ここにかつて坂本龍馬率いる海援隊の大坂支店「薩万(さつまん)」が置かれていました。
薩万――この名前は、豪商「薩摩屋万吉」の略称から来ています。
龍馬たちはこの地を拠点に、薩摩藩や土佐藩と連携し、貿易や軍事の実務を進めていました。
いわば「西の経済・外交拠点」としての大坂支店。
龍馬が京都や長崎だけでなく、大坂にも深く関わっていたことを現地に立って知ると、新たな発見がありました。
大坂・中之島を歩く
訪れたのは曇りの日の午後。
京阪中之島駅から地上に出ると、川の両側には高層ビルが並び、眼下にはゆったりと流れる堂島川と土佐堀川。
近代都市の風景の中に、江戸から明治への転換期を担った龍馬の影を探しながら歩きました。
中之島は古くから商都・大坂の中心でした。
米の取引をはじめ、金融・流通の要として日本経済を支えたエリア。
その地に海援隊の支店があったことは、龍馬が単なる武士ではなく、商いと政治を結びつける実務家だったことを雄弁に物語っています。
川沿いを歩きながら「ここに龍馬が立っていたのだろうか」と思いを馳せると、都会の喧騒の中に幕末の熱がよみがえってくるようでした。

薩万とは何か?
「薩万」とは、もともと大坂の豪商・薩摩屋万吉の屋号に由来します。
この豪商のもとに龍馬たちが拠点を置き、活動を展開しました。
慶応3年(1867年)、海援隊はここを拠点にして西日本の物流を掌握し、薩摩・土佐との連携を深めます。
薩摩屋は西国諸藩とのコネクションが強く、龍馬の活動を経済的に支える存在でもありました。
長崎の亀山社中が海援隊の母体だとすれば、大坂の「薩万」はその支店として、政治と経済の交差点の役割を担っていたのです。
現地を歩きながら想像したこと
現在、薩万跡地を示す大きな建物や碑は残っていません。
しかし、中之島周辺を歩いていると、かつて「天下の台所」と呼ばれた商都の息吹を感じることができます。
堂島川を渡り、北浜の古い証券取引所跡に立ち寄ると、江戸時代から続く商業の伝統を肌で感じました。
この周辺には、米相場や両替商を扱った史跡が点在しており、龍馬が大坂を拠点に選んだ理由が理解できます。
つまり、ここは「日本経済の心臓部」だったのです。
私はしばらく川辺に腰を下ろし、川面を眺めながら想像しました。
龍馬はここで何を考え、どんな会話をしていたのか。
薩摩や土佐の藩士たちと未来の日本像を熱く語り合っていたのではないか――。

薩万の役割 ― 貿易と軍事の拠点
薩万の大きな役割は、物資や情報の中継点でした。
長崎から運ばれる西洋の物資や武器をここで集積し、西日本各地に流通させる。
また、薩摩や土佐藩の財政的支援を受けて、討幕運動を陰で支える。
特に注目すべきは「軍事物資の調達」です。
大坂は物流の中心地であり、武器の流通も盛んでした。
龍馬はここを利用し、薩長連合に必要な資金や武器を手配したといわれています。
つまり薩万は、討幕運動の「経済的インフラ」だったのです。
龍馬と商都・大坂の関係
「龍馬といえば長崎」と考える人も多いでしょう。
しかし、実際に龍馬の活動を支えたのは、大坂という商業都市の存在でした。
京都での政治活動、長崎での貿易活動、その二つをつなぐ拠点が大坂だったのです。
龍馬は大坂を通じて、藩や志士たちの思惑を結びつけ、商いを通じて未来の国を形作ろうとしました。
大坂の街並みを歩きながら、その「結節点としての大坂」の重要性を強く実感しました。
現代の中之島と薩万跡地
いま中之島は、国際会議場や図書館、美術館など文化的施設が立ち並び、「知の拠点」として発展しています。
川沿いには遊歩道が整備され、ランナーや観光客が行き交い、かつての「天下の台所」とはまた違った表情を見せています。
しかし、ビルの谷間で川面を見下ろすと、当時の喧騒がよみがえってきます。
船が行き交い、商人たちが声を張り上げ、志士たちが未来を語り合う――。
そうした情景が、いまも川風に乗って耳元に届くようでした。

現地で感じたこと
薩万跡を訪ね歩いて最も強く感じたのは、「龍馬は剣だけでなく商いを武器にした人物だった」ということです。
維新の志士というと、刀を振るい戦う姿が思い浮かびます。
しかし龍馬は、刀よりも「経済と交渉」を武器に、新しい国の形を模索しました。
大坂の薩万に拠点を置いたことは、その象徴です。
私は川沿いに立ち、ビル群に沈む夕日を見ながら思いました。
龍馬がこの地で見ていたのも、きっと「未来を切り拓く光」だったのだろうと。
📍 アクセス
- 所在地:大阪府大阪市北区中之島周辺(正確な位置は諸説あり)
- アクセス:大阪シティバス「土佐堀二丁目」より徒歩1分
- 特徴:堂島川・土佐堀川に挟まれた中之島エリアに所在したとされる
まとめ
「龍馬を巡る旅 第13弾」として訪ねた海援隊の大坂支店「薩万」。
現地に往時の建物は残っていませんが、中之島の川沿いに立つと、確かに幕末の志士たちの息遣いを感じることができました。
京都と長崎を結ぶ「中継点」としての大坂。
薩万は討幕運動を陰で支えた経済拠点であり、龍馬が「政治と商いを結びつけた人物」であったことを実感できる場所でした。
華やかな観光地ではありませんが、幕末史に興味がある人にとって、中之島の川沿いを歩くことは大きな意味を持つでしょう。
川面に映る光の中に、龍馬たちが描いた「新しい時代の設計図」を重ねることができるからです。
龍馬を巡る旅は、まだ続きます。
次回訪問場所
次回は、薩万からほど近い場所にある中之島の『薩摩藩蔵屋敷跡』を取り上げます。
Instagram連動
この近江屋訪問の様子はInstagramにも投稿しています📷
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