天狗党を巡る旅 第8弾|水戸城・弘道館を歩く【弾痕・正庁・徳川慶喜の謹慎の地】

弘道館 史跡巡り

これまで天狗党や諸生党に関係する史跡を巡ってきました。

今回は、水戸学を通じて尊王攘夷思想が育まれた場所である、水戸城「弘道館(こうどうかん)」を巡ります。

後の天狗党の行動理念にも大きな影響を与えました。

水戸城「弘道館」

水戸城は徳川御三家の一つである水戸徳川家の居城です。

弘道館は水戸藩主・徳川斉昭(なりあき)が行った藩政改革のひとつとして作られた藩校です。

弘道館は水戸城の三の丸にありました。

弘道館
弘道館

後に天狗党と諸生党の戦いである「弘道館戦争」により一部が焼失しますが、正庁や正門など、創建当時の構造を残す建物も多く現存しています。

天狗党・諸生党の双方には弘道館で学んだ者が多く、本来は学友であった者同士が対立したことは水戸藩の悲劇でした。

育ててもらった場所を舞台に、同じ水戸藩同士が戦うという歴史の因縁がここにあります。

弘道館

弘道館の正門に残る弾痕跡

弘道館正門
弘道館正門

弘道館に入る際に最初の通過することになるのがこの正門です。

この正門は天保12年(1841年)の弘道館の創建時に建てられたものです。

解説板によると藩主の来館や諸儀式の際に開門したとあります。

右の門柱には明治元年(1868年)の弘道館の戦いで受けた弾痕が残っています。

正門の弾痕
正門の弾痕

正面から見ても大変立派な正門だということがわかります。

弘道館正門
弘道館正門

弘道館の内部

「尊攘」の掛け軸

正庁玄関
正庁玄関

こちらが正庁の玄関です。

奥に「尊攘」の掛け軸が見えます。

近くで見てみます。

弘道館

尊王攘夷を掲げて進軍した天狗党を追いかけてきた身としては、この力強い「尊攘」の文字を見て思わず震えました。

写真ではわかりづらいですが、迫力がものすごいです。

たまたま部屋に誰もいなかったので、正座してしばらくこの掛け軸と向き合いました。

この弘道館から全国に尊王攘夷の嵐が吹き荒れていったのだということが感じられました。

正席(せいせき)の間

正席の間
正席の間

こちらは藩主が臨席して文武の試験が行われた正席(せいせき)の間です。

御座の間

御座の間
御座の間

こちらは藩主の休息所です。

解説板には

明治維新の際に、将軍職を辞した徳川慶喜公が新政府に恭順の意を表し、朝廷の命を待った場所

とあります。

鳥羽伏見の戦いの後、江戸を経て水戸に戻された慶喜が、この御座の間で謹慎生活を送ったことを思うと感慨深いものがあります。

中庭と廊下

中庭

中庭の様子です。

廊下

天井の木の茶色と壁の白が美しいコントラストになっており、静寂でかつ荘厳なたたずまいになっています。

展示物

大日本史

大日本史
大日本史

神武天皇から後小松天皇までの歴史を記した「大日本史」です。全397巻におよぶ一大歴史書で、冊数は200冊以上に及びます。

この大日本史の編纂に携わった藤田幽谷(ゆうこく)は、あの天狗党の首領格である藤田小四郎(こしろう)の祖父にあたります。

藤田小四郎は天狗党を率いて京都を目指して進軍し、福井県敦賀で352名の天狗党隊士たちとともに斬首されました。

藤田小四郎のお墓は回天神社の中にあり、第7弾で訪れました。

論語

論語

藩校時代に実際に使われていた教科書の「論語」です。

習字の半紙のような薄い紙の本が弘道館戦争や水戸空襲を生き抜いて現存していることに驚きました。

徳川慶喜の写真

集合写真

こちらは徳川慶喜が弟の昭武(あきたけ)を訪れた時の写真です。

一番左の腕組みしているのが徳川慶喜です。

写真の解説

渋沢栄一の書

渋沢栄一の書

特別展示ですが、渋沢栄一の書もありました。

渋沢栄一は徳川慶喜が将軍に就く前からの家臣として仕えていました。

水戸城

本丸や櫓は、放火事件や空襲により残っていませんが、往年をしのぶことのできる史跡がたくさんあります。

大手橋

大手橋
大手橋

三の丸にある弘道館から、この大手橋を渡り、二の丸の水戸城内に入ります。

大手橋
大手橋から大手前を望む

橋から眺めると御城はかなり勾配になっており、高い位置にあることがわかります。

二の丸

二の丸
二ノ丸内を歩きます

両サイドは幼稚園や中学校、高校が並びます。

この右に続いている塀に沿って歩くと「二の丸角櫓(すみやぐら)」に続く細道の入口が現れます。

二の丸櫓に続く細道
二の丸櫓に続く細道

二の丸角櫓(すみやぐら)

二の丸角櫓
二の丸角櫓

細道をしばらく歩くと二の丸角櫓が見えてきました。

内部に入ることができ、資料などが展示されてあります。

角櫓に続く細道の開門時間が9:30~16:00なので注意が必要です。

大シイ

二の丸にある大シイ(の木)は戦国時代から自生しているといわれ、樹齢は約400年もあるようです。

ということは関ヶ原の合戦の頃から数々の歴史を見てきたことになります。

樹木医にでもなって、この大シイさんの歴史トークを聞いてみたいものです。

大シイ
大シイ

本丸跡

遺構は何もありませんが、ここが水戸城本丸跡です。

本丸跡

現在は進学校で有名な水戸第一高校の目の前にあります。

本丸跡と御城印

記念に御城印と写真を撮りました。

徳川家の三つ葉葵の家紋がかっこいいです。

薬医門(やくいもん)

薬医門

薬医門は水戸城の現存する唯一の建造物です。(弘道館は藩校であり城とは別扱い。)

解説板によると建立時期は安土・桃山時代のようです。

長らく城外に合ったものを、昭和56年に現在の場所に移築されたとあります。

水戸第一高校の敷地内にあります。

感想

尊王攘夷の思想を育んだ弘道館と水戸徳川家の居城である水戸城を巡りました。

現存する遺構ものは少ないですが、徳川御三家である水戸徳川家の居城というだけあって、往年の格式の高さと荘厳さを想像するのは易いです。

これまで巡ってきた天狗党の掲げる尊王攘夷を育んだ場所、そして天狗党と諸生党のクライマックスの戦いの舞台です。

始まりにして終わりの場所。

天狗党を巡る旅の水戸旅の終盤に行くにふさわしい場所でした。

水戸城

次回訪問場所

次回は天狗党首領の武田公雲斎の墓をめぐります。

アクセス情報

水戸城三の丸 水戸藩校弘道館

  • 住所:茨城県水戸市三の丸1丁目6−29
  • 最寄駅:水戸駅北口から徒歩約9分

天狗党を題材にした本

天狗党を巡る旅のきっかけとなった本がこちらです。

水戸から京都へ向かう1000キロの道のりとその道中の戦い。そしてそれぞれの悲惨な最後。

この2冊を読んだ後に現地の史跡を訪れると臨場感が違います。

Instagram連動

関係ページ

コメント

タイトルとURLをコピーしました