「龍馬を巡る旅」:池田屋事件跡――血風舞う夜、志士たちが見た光と影

龍馬をめぐる旅
現在の池田屋跡

坂本龍馬の歩んだ道をたどる旅。今回は、刀が交錯し、命が散った幕末最大の市街戦「池田屋事件」の舞台を訪れました。

これまで「近江屋」で龍馬の最期を見届け、「酢屋」で夢を育んだ場所に立ってきましたが――
今回は、彼の“仲間たち”が命を落とした、もう一つの現場へ。


池田屋事件とは?――幕末最大の奇襲劇

慶応元年(1864年)6月5日、京都・三条小橋の旅館「池田屋」に集っていたのは、長州・土佐・肥後の尊皇攘夷派志士たち。

その情報をつかんだ新選組が突入し、壮絶な斬り合いが始まりました。

この夜、新選組が一躍名を上げる一方で、未来を担うはずだった若き志士たちが次々と命を落としたのです。

▲池田屋事件の模型(霊山歴史館にて撮影)

龍馬と池田屋事件――「もしここに龍馬がいたら…」

実のところ、坂本龍馬はこの事件に直接関わっていません
けれど、池田屋に集っていたのは、彼と志を同じくする土佐や長州の同志たち。

もしあの夜、龍馬が池田屋にいたら――。
彼もまた、新選組の刃に倒れていたかもしれないのです。

そんな“もうひとつの未来”を想像せずにはいられませんでした。


現在の池田屋事件跡――居酒屋に残る歴史の面影

池田屋があった場所は、現在「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」として営業されています。

入り口には「池田屋騒動之址」と刻まれた石碑があり、道ゆく人々が立ち止まって写真を撮っていました。
観光客の中には、歴史好きというより「新選組ファン」と思われる方も多かった印象です。

建物はもちろん当時のものではありませんが、店内には刀や陣羽織が飾られており、事件をモチーフにした演出が施されています。

▲ 池田屋事件跡に建つ現在の店舗と石碑

街の喧騒と石碑の静けさ

池田屋事件跡は、京都の中心・河原町三条交差点近くにあり、観光客や買い物客でにぎわうエリアにあります。
その喧騒の中で、石碑だけが静かに歴史を物語っていました。

にぎやかな声と車の音のなか、石碑の前だけは、時が止まっているような静けさ
「ここで本当に命をかけた戦いがあったのか…」

その重みを肌で感じた瞬間でした。


印象に残った一句――吉田稔麿の辞世

池田屋事件で新選組と斬りあい、亡くなった長州藩士・吉田稔麿よしだとしまろの辞世の句をご紹介します。

むすびても 又むすびても 黒髪の
みだれそめにし 世をいかにせん
― 吉田稔麿

若き志士・吉田稔麿の辞世には、この混沌とした時代のやりきれなさと、若者のまっすぐな情熱が込められています。

▲池田谷事件の石碑と解説板

感想

池田屋事件は、新選組”の物語でもあり、失われたもう一つの未来を象徴する出来事でもありました。

この夜、刀を交えた志士たちにも、それぞれに守りたい未来があったはず。
そのうちの何人かと、龍馬は確かに志を同じくしていた――そんな思いを胸に、石碑の前でしばらく立ち尽くしました。


次回訪問予定

次回は、池田屋事件の発端となったとも言われる「古高俊太郎ふるたかしゅんたろう寓居跡」を訪れます。
新選組が捕らえたこの男が、歴史の歯車を大きく動かした――その現場に迫ります。


Instagram連動

今回の池田屋事件跡の訪問記録はInstagramにも投稿しています📷
Instagramで見る(@kuro_nokami25)


アクセス情報

池田屋事件跡(はなの舞 池田屋)
所在地:京都府京都市中京区中島町78
最寄駅:京阪本線「三条駅」より徒歩7分

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