今回から鳥羽伏見の戦いの史跡を巡ります。
鳥羽伏見の戦いは戊辰戦争の発端となった戦争です。
そんな戊辰戦争の始まり「鳥羽伏見の戦い」の、始まりの地点が今回巡る「鳥羽伏見の戦い勃発の地碑」です。
小枝橋

JR京都駅八条口からバスで約20分、「城南宮」で降車して徒歩6分ほど歩くと橋が見えてきます。
これが鳥羽伏見の戦いが始まった場所、小枝橋です。
慶応4年1月3日、ここで京都に向かう幕府軍と新政府軍が向かい合いました。

兵力は幕府軍約2万に対して、新政府軍5千人。
この場所で両軍は衝突しました。

鴨川が流れています。
鴨川と言えば、京都の三条大橋から四条大橋にかけて、カップルが等間隔で並ぶ河川敷の様子で有名ですね。
勃発の地碑(1カ所目)
小枝橋から100mほど歩くと「鳥羽伏見の戦い勃発の地碑」が見えてきます。
交差点に石碑がありました。

近くに寄ってみます。

勃発の地碑はこの場所を含めて2カ所あるようなので、後ほどもう1カ所巡ります。

鳥羽と伏見は3.5kmほど離れています。
鳥羽伏見の戦いは、この小枝橋での薩摩側からの発砲により始まったと書かれています。

少々読みにくいですが、小枝橋の歴史について書かれています。
この橋は京都が都と云われた時代には重要であり、当時大阪(浪速)に渡来した大陸からの文化はすべてこの橋を渡って渡来して来たものと思われます。当時庶民にとっては何かにつけて都は憧れであり、西方からの旅人はこの橋迄たどりつくことにより安堵したとの事です。
当時の大陸文化や人々の往来はこの橋を通っていたんですね。

勃発の地碑(2カ所目)
この石碑からさらに100mほど歩くと、鳥羽離宮跡公園に到着します。
この公園の中にも鳥羽伏見の戦い勃発の地碑があります。

石碑に近くに寄ってみます。


写真だと見にくいですが、石碑には下記の内容が書かれていました。
小枝橋は、慶応四年(1868)正月三日京都を目指す幕府軍とそれを阻止しようとする新政府軍が衝突し、翌年の夏まで続いた戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見の戦いが始まったところです。
大政奉還し大阪城にいた徳川十五代将軍慶喜は、薩摩を討つため上洛を決意します。大阪から淀川を上って竹田街道の京橋で上陸した先遣隊に続き、幕府軍本体が鳥羽街道と伏見街道に分かれて京都に進軍しようとします。これを阻止しようとする新政府軍は、竹田、城南宮周辺に布陣し、鳥羽街道を北上する幕府軍とここ小枝橋で衝突します。
「将軍様が勅命で京に上るのだから、通せ」という幕府軍と、
「勅命ありとは聞いていない、通せない」という新政府軍の押し問答が続き、幕府軍が強硬突破しようとすると、薩摩藩がアームストロング砲を発射、この砲声を合図に幕府軍1万5千人と新政府軍6千人の激しい戦いが始まります。
こうして始まった戊辰戦争は、翌年の函館五稜郭の戦いまで続いて新政府軍が勝利します。新しい時代「明治」は、ここ伏見から始まったと言えます。

鳥羽と伏見における両軍の布陣図がありました。
左側が鳥羽(小枝橋)、右下が伏見です。
左上の「薩摩藩」と書かれているところが小枝橋で、そのすぐ右下の「×」のところが今立っている場所です。

広くて気持ちの良い公園でした。

感想
私は映画「るろうに剣心」が好きなのですが、その第2作「京都大火編」で鳥羽伏見の戦いが出てきます。
宿敵・志々雄誠が全身を焼かれたのが、まさにこの鳥羽伏見の戦いだったのです。また、主人公の緋村抜刀斎が剣を置いたのもこの戦いです。
緋村抜刀斎や志々雄誠は架空の人物ですが、戊辰戦争という近代日本最後の内戦の発端の場所は歴史の重みを感じます。
今はのどかな風景が広がる鳥羽ですが、当時の鬨の声や干戈を交える音が聞こえてくる気がしました。
アクセス
- 所在地:〒612-8462 京都府京都市伏見区中島秋ノ山町
- アクセス:JR京都駅八条口から京都市バスで約30分
次回訪問場所
次回は「鳥羽伏見の戦い跡」を巡る予定です。
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