龍馬を巡る旅 第9弾|霊山護国神社 ―― 龍馬と慎太郎、幕末の志士たちが眠る地

坂本龍馬と中岡慎太郎 史跡巡り

京都・東山。高台寺からさらに坂を上っていくと、静かな杜に囲まれた「霊山護国神社」があります。
ここは幕末維新に殉じた志士たちを祀る社であり、境内の奥には坂本龍馬と中岡慎太郎の墓が並び立っています。

Instagramでは2回に分けて投稿しましたが、同じ霊山護国神社内ですので本投稿でまとめて紹介します。

これまで数々の史跡を巡ってきましたが、龍馬の墓に足を運ぶのは特別な感慨がありました。
「龍馬を巡る旅」と銘打ったこのシリーズの中でも、まさに頂点のひとつと言える場所です。

維新の道
霊山護国神社に通じる『維新の道』

墓地へと続く石段

訪れたのは正午ごろ。

順路的には、シリーズ第5弾『翠紅館跡』を巡った後にこちらを訪れました。維新の道をそのまま東に向かって歩いていくと霊山護国神社の鳥居が見えてきました。
観光客でにぎわう祇園界隈とは対照的に、境内はひっそりと静まり返っています。

受付で志納料を納め、墓地へと続く石段を上ります。
一歩ごとに、空気が澄み渡り、心が引き締まるようでした。

霊山護国神社
霊山護国神社
霊山護国神社
護国神社から墓所に向かう石段の上から

龍馬と慎太郎の墓 ― 並び眠る二人

坂本龍馬と中岡慎太郎の墓
坂本龍馬と中岡慎太郎の墓

石段を登りきった先に広がるのが、志士たちの墓地。
その中でも正面に位置するのが、坂本龍馬と中岡慎太郎の墓です。

二人の墓は、仲睦まじく肩を並べるように建っています。
慶応3年(1867年)11月15日、近江屋で龍馬が暗殺された際、慎太郎も同じ場所で重傷を負い、数日後に命を落としました。
志半ばにして倒れた二人は、いまここで共に眠っています。

私は墓前に手を合わせながら思いました。
もしあの日、彼らが生き延びていたら、日本の未来はどうなっていただろうか。

竜馬を巡り史跡を訪れましたが、この墓所についたとき、竜馬がここで待っていたような気分になりました。

花や酒が供えられ、今も多くの人に慕われていることが伝わってきます。
観光名所というより、人々の思いが集う「聖地」と呼ぶのがふさわしい場所でした。

坂本龍馬と中岡慎太郎の墓
坂本龍馬と中岡慎太郎の墓

長州藩士たちの墓 ― 高杉晋作・木島又兵衛・久坂玄瑞

龍馬と慎太郎の墓の周囲には、維新を支えた長州藩士たちの墓も並びます。

長州藩士の墓

高杉晋作の墓

写真一番右は高杉晋作の墓です。

奇兵隊を組織し、幕末の長州を動かした高杉晋作。
病に倒れ、わずか27歳で世を去りました。

辞世の句:

おもしろき こともなき世を おもしろく
(すみなすものは 心なりけり)

偉人達の数多くの辞世の句の中でも特に有名な一句ではないでしょうか。

第一句は晋作自身、下の句は野村望東尼が補ったと伝わります。
墓前に立つと、この言葉の明るさが胸に響き、死の間際にあっても未来を見据えていた晋作の気概を感じました。


来島又兵衛の墓

禁門の変で討ち死にした長州藩士・来島又兵衛(きじままたべえ)。
長州軍を率いて御所へ迫り、壮烈な最期を遂げました。

『竜馬がゆく』では、京都における会津藩と薩摩藩の長州藩への仕打ち(八月十八日の政変)に憤慨し禁門の変に至る来島又兵衛の姿、そして、禁門の変での見事な戦いぶりが描写されています。

来島又兵衛は初代大警視を務めたことで知られる川路利良の狙撃で胸を撃ちぬかれ、自害します。

石碑の前に立ち、命をかけて信念を貫いた姿を思わずにはいられませんでした。


久坂玄瑞の墓

吉田松陰の高弟であり、桂小五郎と並び称された俊英・久坂玄瑞(くさかげんずい)。
禁門の変に敗れ、鷹司邸で自刃しました。享年25。

辞世の句:

時鳥ほととぎす 血に鳴く声は 有明の 月より他に 知る人ぞなき

鳥のホトトギスは口の中が赤いのでよく句に登場します。

司馬遼太郎『坂の上の雲』では、正岡子規の子規(ホトトギス)という名の由来がこの鳥である旨の解説がでてきます。

短い生涯を燃やし尽くした青年の声が、石碑から聞こえてくるようでした。


霊山護国神社という場所の意味

霊山護国神社は、明治維新を支えた志士たちを祀る神社として、明治維新政府が創建しました。
京都という土地において、志士たちの魂を慰める場であると同時に、訪れる人々が歴史を振り返る場でもあります。

墓地を歩くと、名の知れた英雄だけでなく、無名の志士たちの墓も数多く並んでいます。
その一つ一つに、家族の思い、仲間の思い、そして志士本人の熱情が込められていることを感じました。

今回取り上げることはできませんが、他にも多くの幕末の志士たちの墓があります。

志士たちの墓
池田屋事件関係者の墓。シリーズ第4弾で取り上げた『古高俊太郎』の墓があります。(手前左から4基目)
桂小五郎の墓
桂小五郎(木戸孝允)の墓

現地で感じたこと

龍馬や慎太郎、高杉や久坂の墓に手を合わせながら、私はただ圧倒されました。
知識として頭の中にあった偉人達が目の前に現れたような感覚になりました。

しかも、この霊山護国神社は幕末維新の名だたる志士たちが数多く眠っています。墓石に刻まれた名前を見ていくと、「あ!知ってる!」「この名前は『竜馬がゆく』でみたことあるなぁ」といった名がたくさん出てきます。

まるでヒーローたちの大集結のような圧倒感がありました。

墓地を吹き抜ける風は冷たくも心地よく、遠い幕末の声を運んでくるようでした。
霊山護国神社は、ただの史跡ではなく「幕末を心で感じる場所」でした。

霊山護国神社から京都市街地を望む

📍 霊山護国神社(坂本龍馬・中岡慎太郎墓所)

  • 所在地:京都府京都市東山区清閑寺霊山町1
  • アクセス:京阪祇園四条駅より徒歩20分
  • 志納料:大人300円(2025年現在)
  • 龍馬と慎太郎の墓は墓地正面奥

まとめ

今回訪れた霊山護国神社は、龍馬を巡る旅において欠かせない場所でした。
龍馬と慎太郎が並んで眠り、周囲には高杉晋作や久坂玄瑞ら長州志士の墓が並ぶ――。
ここは幕末の理想と犠牲を象徴する場所であり、辞世の句がそれを雄弁に語っています。

華やかな観光地とは違い、静けさの中で幕末の志士たちの息遣いを感じられる場所。
墓前に立ち、彼らの言葉に耳を澄ませることで、歴史は生きた現実として胸に迫ってきました。

龍馬を巡る旅は、まだまだ続きます。


次回訪問場所

次回は、霊山護国神社へと続く石畳の坂道『龍馬坂』を取り上げます。


Instagram連動

この近江屋訪問の様子はInstagramにも投稿しています📷


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