龍馬を巡る旅 第2弾|坂本龍馬ゆかりの「酢屋」――その面影が今も息づく町屋

史跡巡り
酢屋正面

司馬遼太郎の『龍馬がゆく』を読んでからというもの、坂本龍馬の足跡を実際にたどりたくなり、今回も京都へと一人旅に出ました。

シリーズ第2弾は、坂本龍馬が実際に住み、海援隊の拠点ともなった場所――「酢屋すや」です。

慶応三年10月13日、京都二条城にて大政奉還が成った後、出席していた土佐藩の後藤象二郎から手紙を受け取ったのがこの『酢屋』になります。

手紙を受け取った龍馬は

よくぞ断じ給えるものかな。余は誓ってこの公のために一命を捨てん

と言ったと伝わります。

「よくぞ決断してくれた。徳川幕府を自ら終わらせた将軍慶喜に自分はこの先命を捨ててもよい」という龍馬の気持ちから、大政奉還の決断を下した第15代将軍・徳川慶喜への感激が伝わってくるようです。


龍馬が過ごした町家「酢屋」

酢屋正面

酢屋は、京都・三条通に面した木造町家で、現在まで続く材木商さんです。

坂本龍馬はここに滞在し、『船中八策』をまとめて大政奉還に奔走しました。

建物は現存しており、現在2階部分が「ギャラリー龍馬」として公開されています。

龍馬が滞在していた2階部分の天井は当時のままだそうです。龍馬もこの天井を見上げながら日本のこれからについて考えていたのかと、時を隔てて龍馬の息遣いまで聞こえてくるようでした。

次回取り上げる池田谷事件の舞台となった「池田屋」はこの通りの1本隣にあります。

また、土佐藩邸をはじめとする各藩の藩邸が近隣に集まっており、龍馬が各藩邸を駆け回っていたことが地理的な感覚としても実感することができます。

酢屋館内での撮影や筆記などは禁止されています)


館内は静けさと温かさに包まれて

私が訪れたのは週末でしたが、たまたまギャラリーには自分ひとりだけでした。
観光地・京都の中心とは思えないほどの静けさで、まるで時間が止まったかのような静謐な空間でした。

お店の方がとても親切で、2階まで案内して説明してくださったうえ、帰り際にお茶まで出してくださいました。
温かなおもてなしに、胸がじんわりと温かくなりました。

当時、龍馬をかくまうことは幕府への謀反ともいえる危険な行為であり、材木商にとって百害あって一利なしの状況でしたが、龍馬という人物に協力したいという先代の思いがあったことを説明してくださいました。

また、龍馬は生誕と命日が同じ11月15日ですが、その日には毎年、酢屋の前に祭壇が設けられるそうです。

次回はぜひ11月15日に合わせて訪問したいと思いました。

入館時には、説明資料と高瀬川畔の史跡案内図を頂きました。

頂いた資料

龍馬が見たであろう景色

2階の窓からは、当時、高瀬川が見下せたそうです。2階の構造や天井は当時のままで、龍馬もこの窓から通りの高瀬川を眺めていたようです。

龍馬が座っていた場所が目の前にある。しかも、新しい日本の仕組みづくりの構想を描いている時期の龍馬です。

徳川慶喜が大政奉還した後、龍馬は慶喜の名誉が保たれるように計らい、これまでの敵味方が新しい日本の建設に向けて協力することを望みましたが、近江屋事件で龍馬が暗殺された後は戊辰戦争が勃発し戦いの火が広がってゆきます。

酢屋は龍馬が大政奉還に向けて奔走した最終章の場所と言えます。

なお、最後の方では幕吏の目が光り酢屋も安全でなくなったため、土佐藩出入りの醤油屋・近江屋に移っています。

部屋には海援隊の資料などが展示されており、龍馬についてだけでなく、海援隊京都支部としての歴史も感じることができました。


龍馬の言葉とともに

龍馬の辞世の句は残されていませんが、彼の理想を象徴する有名な言葉があります。

日本を今一度せんたくいたし申候もうしそうろう
― 坂本龍馬、姉・乙女への手紙より

幕末の混乱を一度リセットし、まったく新しい日本をつくろうとした龍馬の強い意志が表れています。

酢屋の2階から高瀬川を眺めながら、この言葉を胸に未来を描いていたのかもしれません。

「龍馬がゆく」では、龍馬の言葉として、

「志に向かってことが進捗するような手段を取り、目的が成就できなくても目的の道中で死ぬべき。生死は自然現象だからこれを計算に入れてはいけない」

といった言葉が出てきます。

まさに、目的のその道中、龍馬最後の時期に過ごした空間がここ酢屋です。


感想

観光地としてではなく、“龍馬の生活空間”としての酢屋。

町家に吹き抜ける風、間取り、天井――その一つひとつが、龍馬の生きていた時間を思わせてくれます。

近江屋事件で亡くなるまで過ごした場所ということで、龍馬が最後まで日本のためを思い、机に向かって書類や手紙を書いている姿がありありと想像できました。

そして、移り変わりの激しい世の中で、今日までずっとここでその建物を守ってきた酢屋さんの努力と思いを感じ、感謝の気持ちがわきました。

ここに来なければ感じられなかったものが、確かにありました。


次回訪問予定

次回は、龍馬の暗殺事件を描いた池田屋事件跡を訪ねたいと思います。池田屋は上に述べたように、この酢屋から目と鼻の先にあります。

歴史の表と裏が交差した場所、その空気を感じてきます。


Instagram連動

今回の酢屋訪問の様子はInstagramにも投稿しています📷


アクセス情報

酢屋(坂本龍馬寓居跡)
所在地:京都府京都市中京区大黒町47
最寄駅: 阪急京都本線「京都河原町駅」より徒歩8分

繁華街のすぐ近くですが、酢屋のある通りは人通りもそれほど多くはなく、落ち着いた雰囲気が漂っています。

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