「鳥羽伏見の戦い」を巡る旅 第3弾|戊辰東軍戦死碑・鳥羽伏見の戦跡

歴史ログ

前回は「鳥羽伏見の戦い」の火ぶたを切ることになった薩摩軍の大砲が火を噴いた城南宮を巡りました。

今回は幕府軍の遺体が眠る「戊辰東軍戦死碑」や激戦の地「鳥羽伏見の戦跡」を巡ります。

今出川菊亭右大臣鳥羽殿跡

城南宮から鴨川に沿って南下します。

途中で「南無妙法蓮華経」の「ひげ題目」が彫られた石碑を見つけました。

「南無妙法蓮華経」のひげ題目

このひげ題目は刑場跡や弔いの念がある場所にの石碑が建っていることが多いです。
側面には「常高寺」と書いてありました。

常高寺

この場所には何かあるのではないかと思い、門の方まで行ってみました。

門は閉ざされていましたが、少し先にお墓群が見えました。

鳥羽伏見の戦いと直接の関係はないかもしれませんが、もしかすると当時亡くなった兵士のお墓があるかもしれないなぁと思いながら見ていました。

また、入口付近には「今出川菊亭右大臣鳥羽殿跡いまでがわきくていうだいじんとばどのあと」の石碑もありました。

今出川菊亭右大臣鳥羽殿跡

京都市のホームページによると、豊臣秀吉と親しい間柄であった菊亭晴季(きくていはるすえ)の夫人がこの地に隠居所を持っており、それがのちにこのお寺、常高寺になったようです。菊亭晴季は今出川晴季とも呼ばれていました。

鳥羽の大石

さらに南下します。
このあたりは酒蔵のようで、昔ながらの格式のある建物が並ぶ街並みになっています。

街道の街並み

鴨川に沿って下っていく途中、河川敷になにやら大きな石が並んでいるのを発見しました。

鳥羽の大石

城の石垣か何かかと思い、解説板を読みます。

解説板によると、この石が何なのか決着はついていないようですが、二条城の城郭石材という説が有力だそうです。

街歩きしながらの史跡巡りは、当初の予定になかった史跡に巡り合えるのが醍醐味ですね。

戊辰東軍戦死碑

この場所も当初の予定には入っていなかったのですが、歩いている途中で墓石が見えたので、もしかして?と思い足を止めたところ、「戊辰」の文字が見えたので立ち寄りました。

法傳寺(ほうでんじ)」というお寺の中にあります。

石碑

精忠碑が建っていました。

石碑

右の石碑には「支那事変大東亜戦 戦没者の碑」と書かれています。
左の石碑には「戊辰東軍戦死者之碑」と書かれてあります。

解説板

解説板によると旧幕府軍が敗走した際に、このお寺の境内が避難所として死傷者の受け入れをしており、野戦病院のようであったとあります。

傷つき、倒れた兵士たちがこの場所にあふれていたのでしょう。

こちらのページで紹介した本「鳥羽伏見の戦い」では、旧幕府軍は士分の遺体しか収容しなかったこと、歩兵の遺体は放置され、生きていても薩軍に始末されたことが書かれています。

敵も士分の者、戦死などは対外に運び帰り候えども、歩兵躰の者は街道あるいは田地などへ馬の糞よりも多くごろりごろり倒れ居り、刀・鉄砲あるいは仕切り胴乱類夥しく落ち居る。

ここに運ばれた負傷者たちはどうなったのでしょうか。

鳥羽伏見の戦跡

そのまま河川敷を下ると民家の塀の前に「鳥羽伏見の戦跡」が見えてきます。

鳥羽伏見の戦跡

解説板などはなく、石碑自体は小さいので近くに寄ってみます。

鳥羽伏見の戦跡
鳥羽伏見の戦跡
鳥羽伏見の戦跡

この場所は旧幕府軍の下鳥羽陣地でした。
新政府軍に対して旧幕府軍側は米俵を胸壁にして反撃しました。

初日3日の戦いでは、新政府軍の指揮官であった西郷隆盛が、勝ち戦を自分の目で見るまで気が済まず、伏見まで危険を冒して出てきたと言います。

それほどに、新政府軍にとっても、旧幕府軍の大軍を相手にした戦いは勝敗がどう転ぶかわからない緊迫した一戦だったということだと思います。

感想

今回は当初予定していなかった史跡との出会いが複数ありました。

車移動は便利ですが、実際に歩くことで、それぞれの史跡の距離感が自分の体感として実感することができます。

また、今回のように思いがけない史跡との出会いがあります。
史跡巡りは徒歩移動がおすすめです。

鳥羽伏見の戦いの激戦地では、重傷を負って放置された旧幕府軍の兵士がたくさんいました。

放置された兵士の気持ちはいかばかりだったのでしょう。

新政府軍は生き残った旧幕府軍兵士をことごとく始末したと言います。

多くの血が流れた鴨川沿いの激戦地は、現在ではのどかな流れをたたえ、石碑だけが静かに見守っています。

アクセス

今出川菊亭右大臣鳥羽殿跡

  • 所在地:〒612-8471 京都府京都市伏見区千本通

鳥羽の大石

  • 所在地:〒612-0000 京都府京都市伏見区

戊辰東軍戦死碑

  • 所在地:〒612-8477 京都府京都市伏見区下鳥羽中三町 法 傳 寺内

鳥羽伏見の戦跡

  • 所在地:〒612-8478 京都府京都市伏見区下鳥羽南三町71

次回訪問場所

次回は坂本龍馬が寺田屋で襲撃された後に逃げ込んだ「薩摩島津伏見屋敷跡」や寺田屋事件(薩摩)で亡くなった志士たちが眠る「大黒寺」など、伏見エリアの史跡を巡ります。

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