前回は水戸市にある武田公雲斎の墓を巡りました。
今回は、水戸を離れ、福井県敦賀市にある武田耕雲斎本陣跡を訪れます。
武田耕雲斎本陣跡とは
水戸を出発し、京都を目指し進軍してきた天狗党。
中山道での幕府軍との戦闘を避けるため、越前(現・福井県)に抜ける険しい雪道を行軍します。
天狗党は12月11日に新保へ入りここを本陣とします。
そして、幕府軍先陣であった加賀藩と会談を重ねた末、ついに天狗党首領・武田耕雲斎は12月17日に降伏しました。
史跡に向かう
武田耕雲斎本陣跡は、敦賀市の中でも山あいに位置し、交通アクセスはいいとは言えません。
敦賀市からコミュニティバスが走っているようですが、予約制とのこともあり、車で向かうことにしました。
市街地を抜けると徐々に山に差し掛かってきました。
目的地の神保に続く道に入ります。

私が現地を訪れたのは1月上旬です。
雪がところどころ積もっていましたが、大雪ではなかったので助かりました。
スタッドレスタイヤを履いているものの、雪のつもった坂道の運転は少しこわいです。

神保に近づいてきました。
奥にある山々を天狗党の一行は超えてきました。
武田耕雲斎本陣跡の外観

武田耕雲斎本陣跡に到着しました。
さすがに山道を登ってきたので、現地周辺はふもとよりも雪が積もっています。
なお、駐車場はありません。

入口の門が閉まっているので、入れないかもしれないと思いました。
門の近くにいくと左脇の白い看板に
「こちらからお入りください。建物内も自由に見学できます」
と書いてあり安心しました。
史跡は無人です。これまで地元の方々が維持管理をして今日まで残してくださったのだと思います。
感謝を胸に扉を押しました。

外観や内部は当時のまま保存されています。
解説板
門を入ると解説板が建っています。

解説板の一部を引用すると
元治元年(1864)12月11日、水戸の武田耕雲斎らの一党800余名が神保に宿営した際に、耕雲斎が陣を取ったのがこの本陣で、耕雲斎らの降伏に際し、幕府軍の先陣を務めた加賀藩の使者と数度にわたる会談を行ったのもこの書院である。それ以来、神保陣屋とも呼ばれている。
とあります。
武田耕雲斎がこの場所で幕府側と会談を行った場所との記載があります。
建物内部と展示物

門をくぐった後、建物の入り口はこのようになっています。
いよいよ建物の扉をあけて中にお邪魔します。

雪の積もる中、凛とした静寂な空間がありました。
資料も展示されています。



机の上には資料が置いてありました。
福井藩主・松平春嶽(まつだいらしゅんがく)公のお孫さんもここを訪れたことがあるようです。
当時をしのぶ
武田耕雲斎が座っていたであろう場所に着座し、しばらく静寂な部屋で一人当時をしのびました。


この場所で加賀藩との緊迫した会談がもたれていたのでしょう。

幕府との戦闘に踏み切るか、投降するか。この天井を見つめながら武田耕雲斎は悩んだのかもしれません。

部屋の電気は自分でつけることになっています。
あえて電気を消してみました。
当時の情景としてはこちらの方が近いと思います。
雪が降りしきる静寂な部屋の中、何とも言えない侘しさがこみ上げました。
周辺
しばらく当時をしのんだあと、外に出ました。

本陣跡から山に向かって100メートルほどのところに神社が見えました。
日吉神社というようです。
会談のない時間には、武田耕雲斎たちもこの神社にお参りしていたかもしれません。
何を願ったのでしょうか。
この先に待ち受ける天狗党の悲惨な行く末を知る由もなく、ただただ日本の存続と繁栄を祈ったのではないでしょうか。
感想
今回は福井県福井市神保にある「武田耕雲斎本陣跡」を尋ねました。
アクセスはあまりよいとは言えません。私が訪ねた時間帯も他の訪問者はいませんでした。
しかし、訪問者ノートには茨城県や千葉県など、全国各地からの訪問者の記載がありました。
天狗党が投降を決断した重要な場所であり、訪問する価値は大いにあります。
当時のまま現存する建物の中で、耕雲斎が見上げたであろう天井と景色を見ることができます。
静寂で凛とした空間は、その緊張感までもが当時のままのような気がしました。
天狗党を巡る人はもちろん、歴史に興味のある方にはぜひ訪れていただきたい史跡です。
アクセス
- 所在地:〒914-0001 福井県敦賀市新保27−30
- アクセス:JR敦賀駅から車で約16分(約10km)
次回訪問場所
次回はつくばの天狗党史跡を巡る予定です。
Instagram連動
この訪問の様子はInstagramにも投稿しています📷

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