司馬遼太郎『龍馬がゆく』を読んで以来、坂本龍馬ゆかりの地を一人で巡る旅を続けています。
これまでに訪れたのは、龍馬最期の地「近江屋」、拠点としていた「酢屋」、そして「池田屋事件跡」。
今回第4弾では――池田屋事件の“はじまり”とされる場所、古高俊太郎寓居跡を訪れました。
古高俊太郎とは?

古高俊太郎は、長州藩の密偵で、尊王攘夷を掲げて京に潜伏しながら武器の調達や志士たちの連絡役を担っていました。
元治元年(1864年)6月5日、新選組がこの場所に踏み込み古高を逮捕。
そして2階から逆さ吊りにされ、足の甲に五寸釘を打ち込まれ、さらに貫通した足の裏の釘に百目蝋燭を立てて火を灯されるという凄まじい拷問にかけられました。
その結果、同志たちの潜伏先を白状し――わずか数時間後、「池田屋事件」が勃発します。
つまりこの場所は、幕末の京都に激震を走らせた事件の“引き金”が引かれた地点と言えるでしょう。
現地の様子|繁華街の中の静けさ

この寓居跡は、四条木屋町の繁華街からわずかに入った路地裏にあります。
人通りの多い通りから一歩入ると、そこだけ時間が止まったような静けさに包まれます。
入り口には、小さな石碑と説明板が設置されており、当時の経緯が簡潔にまとめられています。
道ゆく観光客も見逃してしまいそうなほど控えめな佇まいですが、歴史の重みはずしりと感じられます。
一見すると見逃してしまいそうな場所ですが、その佇まいがかえって、歴史の“裏側”を伝えてくれるような気がします。
龍馬との接点

古高俊太郎と坂本龍馬に直接の接点はないようです。
しかし、池田屋事件に集っていた志士たちは、龍馬と同じく尊王攘夷を掲げていた同志たちでもありました。
彼らが共有していた「この国をどうにかしたい」という強い思い――
それが、血を流すという形でぶつかったのが池田屋事件であり、その出発点がこの寓居跡です。
有名な一言

その池田屋に踏み込んだ新選組局長・近藤勇が、突入の際に放ったとされる有名な一言があります。
御上意!
― 近藤勇、池田屋突入の瞬間に
この「御上意」とは、「主君(将軍)からの正式な命令」という意味です。
つまり彼は、“天皇の敵を討つ”という名目ではなく、将軍家に仕える武士としての正統な命令に基づく行動であることを、刃を交える前に高らかに宣言したのだと思われます。
刀を振るいながらも、そこには誇りと覚悟を持った武士の姿がありました。
そう考えると、池田屋という場所が、ただの斬り合いの場ではなく、信念と忠義が交錯した舞台であったことが見えてきます。
感想
賑やかな京都の町に、こんな静かな“起点”が残っていたことに驚かされました。
華やかさはありませんが、ここに立つと、表に出ない歴史の深層に少しだけ触れた気がします。
京都の史跡というと有名な寺社が注目されがちですが、こうした「路地裏の石碑」こそ、当時の息づかいを最も感じられる場所かもしれません。
次回訪問予定
次回は、長州藩士たちが逗留していた翠紅館跡を訪ねたいと思います
歴史の表と裏に触れる旅、まだまだ続きます。
Instagram連動
今回の訪問記録はInstagramにも投稿しています📷
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アクセス情報
古高俊太郎寓居跡
所在地:〒604-8026 京都府京都市下京区西木屋町通四条上る真町98-2
最寄駅:阪急京都線「京都河原町駅」より徒歩1分
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